プロフィール

はじめまして

こんにちは。三宅まさえです。

当サイトにお越し頂きまして、ありがとうございます。

私はママ起業家様のための業務アシスタントをしています。

同じ子どもを持つママだからこそ分かる心強い存在になりたい

家族との時間を大切にしながらも、めいっぱい大好きなお仕事をして頂きたいと考えており、

ママ起業家様がご自身の得意に集中出来るように、そして「大切な人と過ごす時間」のご提供ができるように、ママだからこそできるきめ細かく柔軟なサポートをさせて頂いています。

少し長いですが、プロフィールをご用意しました。

幼少の頃の様子やこのお仕事のきっかけとも言える切迫流産の時のこと、業務アシスタントを選んだ理由などを綴っています。

ご興味頂けましたら嬉しいです。

簡単な経歴

名前:三宅 まさえ

生年月日:1981年5月11日

血液型:O型

住まい:東京都23区内

出身地:茨城県

最終学歴:実践女子大学英文学科卒業

好きなこと:美味しいものを食べること、作ること、お酒を飲むこと(現在授乳中により禁酒中)、ふっと気になるところへぷらっと出掛けること、新幹線・飛行機に乗ること、旅行

得意なこと:興味が沸いたら心ゆくまで調べたり実践すること、アクティブなこと、子守歌

好きな食べ物:スイーツ(特にチーズケーキ)、牡蠣、焼き肉

苦手な食べ物:ピータン(見た目がチョット・・・)

生い立ち~小学生まで

二人姉妹の次女として誕生しました。

幼い時は2歳上の姉や近所のもう少し年上(確か3~4歳くらい上)のお姉さん達とよく遊んでいました。

私は特に外でゴム飛びや鬼ごっこ、色鬼などをして遊ぶことが好きで、アクティブな性格は幼い頃に体いっぱい使って遊んだからの様に思います。

そんな元気いっぱいの私が幼稚園あたりから本を読むことが好きになりました。

幼稚園から小学生の頃が読書好きのピークで、近所の図書館や学校の図書室でよく本を借りて読んでいたことを今でも覚えています。

小学生の時は日記や読書感想文が得意で、特に読書感想文は先生に褒めてもらう機会が多く、コンクールで入賞したこともありました。

他にも小学生の時にはブラスバンドでトランペットを吹いていて、そのトランペットも好きで褒めてもらうことが多くて、ソロのパートをもらうことがありました。

読書感想文はたくさん本を読んだことが影響したと思いますし、トランペットもたくさん練習しましたから、興味が沸いたことにハマりやすい性格は子どもの頃から変わらないなぁとつくづく思います。

中学生~高校生

中学生になった私はトランペットが楽しかったことから吹奏楽部に入部し、今度はフルートを担当しました。

全国大会常連校の為、長くて厳しい練習を放課後はもちろん土日も行い、中学生の思い出のほとんどが部活と言えるくらいの日々でした。

この頃の私は部活仲間と「全国大会出場」を合言葉に一緒に練習に励むことが好きでした。

ですが、中学1年、2年と全国大会に出場するも、残念ながら中学3年の時は全国大会に出場することが出来ずに引退。

ほろ苦い結果で切磋琢磨した部活仲間との日々が終わってしまったのです。

そして、中学を卒業して高校生になってからは、燃え尽きてしまったのか部活に入りませんでした。

なんとなくやる気が出なかったので、なんとなく帰宅部。

高校時代でよく覚えていることと言えば、土曜日は学校帰りに友達とマックでお昼を食べてからカラオケに行くことが定番だったということ。

マック食べながら流行りのテレビドラマの話をし、カラオケでは全盛期だった小室ファミリーの歌をみんなで大合唱。

中学の部活とは違った方法での友達との心の通い合いを楽しみに生活をしていたのが高校時代だったように思います。

大学生時代①参加者200名の記念パーティ幹事

上京して大学生活が始まると同時にテニスサークルへ入りました。

この頃も心の通い合う仲間が欲しくて、「大学生と言えばテニスサークル」という謎の偏見からテニスサークルへ入ったのです。

もちろんテニスも好きでしたし、練習後に食事に行ったり、色んな所に遊びに連れて行ってもらったりと、充実した大学生ライフでした。

そして私は大学3年の時に副部長になりました。

ちょうど創立25年の年だった為、記念パーティを開催することになり、副部長だった私は記念パーティの幹事を務めました。

会場探しから記念品の発注、メーリングリストでのOBOGとの意見交換、当日の人員配置、2次会会場探しなどを4人の幹事で手分けし、当日はおよそ200名の方が参加してくださって大盛況に終わりました。

準備から当日まで初めて経験することがほとんどで、不手際からOBOGから厳しい意見を頂いたりもしましたが、

パーティ終了後に何名かの参加者から「楽しかった」という言葉を頂いた時は、充実感と喜びでいっぱいでした。

大学時代②初海外で得たことは経験の大切さ

記念すべき初海外は大学2年生の時でした。

大学で募集していた夏休みを利用したシアトルへの短期留学への参加です。

1ヶ月という短い期間でしたが、日本には無い壮大な景色に圧倒されながらも癒され、海外ならではのオープンマインドやどこからか感じる自由な雰囲気に心地良さを感じ、世界の広さと外国の素晴らしさに感動しました。

ところが英語ペラペラでは無かったので、身振り手振りを交えてネイティブの授業やお店の人とコミュニケーションを図ったり、

日本とは違って乗り方が難しかったバスでは想定外の場所に辿り着いたりと悪戦苦闘することもありました。

それでも1ヶ月が終わりに近づく頃にはもっとコミュニケーションをとれるようになりたい、もっと色々な国に行って色々な経験をしたいと思うようになっていて、

この留学で一番得たことは、何事も経験ということでした。(英語じゃないw)

「もっと○○したい」という気持ちが芽生えたのは、良い意味でも悪い意味でも様々な経験をしたから。

この初海外で、人は色んな事を経験しながら成長するんだなってことに気が付きました。

仕事の経歴①専門商社で営業アシスタント

大学を卒業してこれまでの間に3社で働いてきました。

まず新卒で入社したのが専門商社。宝飾品の専門商社でした。

貿易部希望で入社しましたが、入社後のOJTで興味を持った通信販売で商品を売る部署に配属希望を出したところ、ある営業さんお一方の営業アシスタントとして働くことになりました。

受発注管理や納期管理、備品の発注、電話でのお客様のお問い合わせ対応、商品撮影の立ち合いなどを担当し、営業さんの代理やアシストをしていました。

例えばExcel使いながら納期に遅れないよう進捗管理をしていたのですが、スムーズに進むようトラッキングし、予期せぬトラブルが起きた時には代替案を考え、緊張感を持ちながらも時には柔軟さを取り入れる役目にやりがいを感じていました。

そして、営業さんの代わりに取引先とやり取りすることも多い立場ならではの嬉しいこともありました。

それは担当の営業さんから取引先が私の対応を褒めてくださっていたと聞いた時のことで、私は間接的にお褒めのお言葉を伺うとお相手が心から褒めてくださっているように感じるので、その時はアシスタントならではの醍醐味に嬉しく感じていました。

また、この時の同期とは退職後も食事に行ったりお互いの結婚式に出席するなど交流があり、初めて社会で奮闘した仲だからこその結束が今でも続いています。

この会社は3年3ヶ月くらい務めて退職したのですが、退職した理由は海外留学をしたかったからです。

初めて海外に行った大学生の時に抱いた「もっと色んな国に行きたい」という夢を叶える為に、社会人になる前に3年くらい働いたらいったん仕事を辞めて海外留学しようと決めていたのです。

ちなみにどうして3年を退職の目安にしたかというと、なんとなく3年続ければ帰国後の転職活動で困らないのではないかという理由と、若いうちに見聞を広めたかったという理由でした。

仕事の経歴②広告代理店でバックオフィス

海外留学からの帰国後、広告代理店で働きました。

街でよく見かけるフリーペーパーの広告代理店の募集に目が留まり、海外進出計画も魅力的に感じて応募しました。

募集していたバックオフィスは総務と経理のお仕事で、商社時代のアシスタント業務が活かせそうだなと思い応募し採用頂きました。

社員が使用するティッシュペーパーを発注することから始まり、社長来客準備や社員の海外出張のチケット手配、アウトソーシングしている経理業務の窓口など社員の仕事環境を作ったり、やり取りの間になることを役割としていました。

専門商社のアシスタント時代から代理やサポートが好きだったので、楽しさとやりがいを感じていましたが、正直会社に馴染めなくて10か月で退職してしまいました。

2回目の退職となったわけですが、この退職の時に「何かを嫌で会社を辞めるのはもうやめよう」と決めたことを今でも覚えています。

嫌なことを探すのが癖になるんじゃないか、もっと良かったことにフォーカスすれば良かったんじゃないかという気持ちが退職後に芽生え、後ろ向きな理由で会社を去ったことに後悔を感じたからです。

仕事の経歴③外資系企業でひたすら見積もり作成

広告代理店を退職後の転職活動は上手くいかず、生活費を工面するために派遣の仕事をすることにしました。

派遣のお仕事は勤務先がネットなどに公開されないことがほとんどですが、勤務先を公表して自宅から近い場所で募集している仕事があり、勤務先を公表していることの安心感と自宅から近い為交通費を抑えられることにメリットを感じて応募し、採用頂けることになりました。

仕事内容は見積もり作成で、一日に何十枚とひたすら見積もりを作成していました。

働き始めの頃は見積もりを作ることだけの仕事にうんざりすることもありましたが、徐々にハマっていきました。

繰り返し見積もりを作っている中で、どうしたら早く出来るか、どうしたら効率良く出来るか考えるようになり、自分なりに工夫することにハマり、楽しくなったのです。

ですがその傍らで、もっと会社に近い仕事がしたいと思った時期があり、仕事をしながら正社員への転職活動をしていた時期がありました。

派遣の仕事が終わった後にエージェントに行って面談をしたり、転職活動に必要な書類作成をしていたのですが、仕事後の転職活動は心身共にとても疲れました。。

その上、やりたい仕事の募集がなかったり、見つけてもなかなか選考が進まなかったりと、長期化していた転職活動に嫌気を感じて志半ばで転職を諦めてしまいました。

それでも30歳半ばを直前に控えた頃には、もう一度転職活動にチャレンジしたいと思うようになり再度転職活動を開始し、派遣のお仕事は7年くらいで終えました。

仕事の経歴④外資系企業でのキャリアアップ成功と予実管理

転職活動では派遣で働いていた会社にも応募していて、縁あって正社員になることが出来ました。

私は予実管理と呼ばれる予算と実績の管理をメインに仕事をしていました。

とある部署の実績の進捗状況を把握し、順調でない場合は原因究明をして対策を検討するなど、予算達成に向かって進んでいく過程を管理することを役目としていました。

様々な資料やデータをチェックしたり、確認目的に予算達成に協力が必要な関係者と密にコミュニケーションを図ったり、進捗状況を報告する会議での資料作成などをしていました。

これまでの仕事は代理やアシスト、サポートというメインの方がいてこその立場でしたが、この予実管理では私自身が管理者というメインの立場で意思決定や取りまとめをしていたので、正直、これまでの仕事の中で一番辛い経験が多く、一番私を成長させてくれた仕事でした。

例えば、たくさんの社員の様々な過程があって実績は作られていたわけですが、予算を達成させる為に周囲に工面を強いることもあったので、その時は申し訳無いと思いながらも管理者としての任務遂行を優先して詰め寄っていました。

極力そういったことが無いように日々進捗状況を把握するわけですが、漏れがないように詳細をチェックしたり、不測の事態が起きていなくてもいくつかのプランを練ったりと、管理能力が磨かれていきました。

また、進捗状況を報告する会議ではたくさんの資料を用意することがあり、深夜まで及ぶことや休日も対応が必要となった時もあり、おかげでやりきる力が培われていきました。

そして外資系企業と聞くとドライなイメージがありましたが、まったくそんなことがない会社で、和気あいあいとした社風が私に合って楽しい職場で会社が好きでした。

プライベートにおいても嬉しいことがあり、仕事に慣れてますます会社が好きになっていた頃に私は結婚をしました。そして、式を挙げた翌年に妊娠をしたのです。

時短勤務や在宅勤務も出来る職場だったので、産後も働いていた女性社員はいました。

ですが、私は妊娠時に切迫流産になってしまい、夫との話し合いの末、大好きな会社を退職することに決めたのです。

この時のことは次に書きますが、2年ちょっとという短い期間で会社を去りました。

最終出社日に涙ながらに挨拶をしたことを今でも覚えています。

子育てか仕事か。切迫流産で私が思ったこと。

私が切迫流産になったのは妊娠11週目くらいでした。

ちなみに切迫流産とは流産の一歩手前の状態を言い、私はいつもと違う体調に違和感を感じて病院へ行ったところ切迫流産と診断され、1週間安静に過ごすよう言い渡されました。(こういった話が苦手な方もいると思うので、具体的な私の症状の記載は省きます。)

正直病院に行く前に嫌な予感があったので、病名を言い渡された時は少しの驚きと「やっぱり」の気持ちが入り混じっていました。

夫には病院から帰宅後にLINEにメッセージを送ったところ、折り返しの電話がかかってきて体調を気遣ってくれ、まだ肌寒い時期だった為、夫婦で購入を検討していたストーブを買っていつもより早く帰宅してくれました。

そして上司にも連絡をしました。電話で「実は、、、」と話をしたところ、「仕事のことは心配しなくて良いから体調を優先にするように」と言ってくださりました。

ちなみに上司にはお子さんがいて、切迫流産の知識もあったので冷静に対応してくださりました。

まさか自分がこういう状況になるとは思っていなかったので、不透明な未来に「どうなるんだろう。。。」と呆然としながら1週間をほとんどベッドで過ごしました。

そしてそんな1週間が過ぎ、夫と今後について話をしました。

夫からは体調を案じて仕事を辞めて家庭に入った方が良いのではないかと意見があり、私は素直にその意見に同意しました。

私はベッドで過ごしていた1週間に今後の身の振り方を色々考えていて、その中には仕事を辞めて専業主婦になることも考えていたので、夫の意見には驚きませんでしたし、反対もしませんでした。

安静後にまた体調が悪くなるかもしれない、無事出産したとしても産休育休後に仕事と育児や家事を両立することにイマイチ自信が持てないなどと、体調が芳しくなかったせいもあってか今後に対して負の気持ちが大きい状態でした。

また、今の仕事を辞めることは残念だけど、子供が欲しいと思って妊娠したのだから無事に出産してまた楽しいと思える仕事を始めるのも一つの手とも考えていました。

最終的には今の私に大切なこと、やらなければならないこと、それは無事に子供を出産することという考えに辿り着き、それを叶えるベストの状況を作る為に仕事を辞めることは良いことだろうと思いました。

おかげさまでその後は大きなトラブルはなく、無事に子供を出産することが出来ました。

この件はとてもデリケートな内容なのでプロフィールに記載するか迷いましたが、「こういう考えもあるんだな」と一個人の考えとして受け止めて頂けると幸いです。

業務アシスタントのお仕事を始めた理由

縁あって産後6ヶ月の時に、ある方の業務サポートとして会議室の予約やメール対応などをさせて頂けることになりました。

もちろん子どもは可愛いし、まだまだ親の手が必要でしたが、産後5ヶ月くらいには何かが物足りないと思うようになっていて、仕事で得ていた楽しさや達成感、やりがいが恋しかったのでお仕事の話を頂いた時はとても嬉しかったです。

仕事は自宅ですることが出来、子どもが昼寝中や夜就寝後に行うことで間に合うボリュームだったので、自宅で幼い子どもを育てながら仕事が出来ることに魅力を感じ、長く続けていきたいと思うようになりました。

仕事内容は私がこれまで経験して楽しかったサポートやアシストするようなお仕事、取りまとめや間になるお仕事を希望し、会議室の予約やメール対応などさせて頂きました。

また、仕事を頂いたことは夫にも話をし、私の無理の無い範囲であれば良いのではないかと言ってくれ、応援してくれました。

よろしくお願いします。

プロフィールを読んで頂きまして、ありがとうございます。

これまで企業で経験したアシスタント、取りまとめや間になる役割で培ったスキルや提案力を生かし、ママ起業家様のお仕事やご家庭のニーズに合わせてお仕事をしたいと思っています。

ぜひお気軽にお問い合わせ頂けますと嬉しいです。

また、ブログでは主にワーママ向けの子育てや仕事についてを発信していきたいと思いますので、ご興味頂けたら嬉しいです。

どうぞよろしくお願いします。